ご縁があり、ものづくりの友人にかねてから誘って頂いていた掛川二の丸美術館にやっと行くことができました。
現在、特別展として「白の細密工芸ウニコール」が開催されています。もともと喫煙具のコレクションで有名な二の丸美術館ですが、特別展にもたくさんの秀逸な煙草入れの展示がされています。
煙草入れとは、江戸時代から明治時代に主につくられていたもので、キセルを入れるための筒、帯に引っかかるための根付け、煙草の葉を入れるための袋、などで構成されていますが、素材も専門技術も多岐にわたります。
我々は鞄の仕立て屋なので、どうしても革を使用した「袋」といわれる煙草入れの本体に目がいってしまいます。現代の我々がつくっている「鞄」というものは明治時代に西洋から入ってきた革鞣しをベースとした技術で生産される革で出来ており、西洋化された生活の中で洋服を着て持つためのアイテムです。明治以前の日本人の暮らしや感覚は、絵画、文献、小説や映画などから想像するしかありませんが、革の鞣しやそれらを使った仕立ての技術に関してはほとんど資料がないといってもいいのが現実です。
西洋ベースのいわゆる「鞄」はアンティークの素晴らしいものを見ても仕立てが予想もつかないということは正直あまりありません。しかし、革の煙草入れたちの中には、何十年も革を触ってきた我々の想像を超える摩訶不思議なつくりのものがたくさんあるのです。
どんな道具を使ってそこまで細かい細工が可能なのか。拡大鏡でも見えないほど小さいピッチで掬って切れない当時の革とはいったいどんなものなのか。そんなに細くて堅牢な針が存在したのか。。。疑問は尽きません。
それにしてもいちばんの刺激は、「効率」とか「つくりやすさ」などというものを微塵も感じさせない、というよりむしろその全く逆に向かいながら精緻な表現の高みを追求するものづくりの世界がビシビシと伝わってくることです。
脳みそのつかい方や時間の流れかたも現代とはまったく違うような気さえします。
革を扱う人以外にも、布を扱う人、金工をする人、漆を扱う人、竹を編む人、角を彫る人、、、、、
それぞれのものづくりに携わる多くのひとたちに感じていただける何かがあるはずです。
高級な品であったのは確かですが、神様や高貴な方に献上するような美術品とは違い、装身具のひとつである根付けや煙草入れといった、手の中で愛でられる身近なものであるからか、当時のつくりての息遣いも生々しく感じられるようにおもいました。
限界のない自由で厳しいものづくりの大宇宙は現代のわたしたちのまわりにも無限に広がっているはずなのだ!という想いを胸に、掛川城が美しく映える夕方の空を仰ぎ興奮しながら美術館をあとにしたのでした。
革を扱う人以外にも、布を扱う人、金工をする人、漆を扱う人、竹を編む人、角を彫る人、、、、、
それぞれのものづくりに携わる多くのひとたちに感じていただける何かがあるはずです。
高級な品であったのは確かですが、神様や高貴な方に献上するような美術品とは違い、装身具のひとつである根付けや煙草入れといった、手の中で愛でられる身近なものであるからか、当時のつくりての息遣いも生々しく感じられるようにおもいました。
限界のない自由で厳しいものづくりの大宇宙は現代のわたしたちのまわりにも無限に広がっているはずなのだ!という想いを胸に、掛川城が美しく映える夕方の空を仰ぎ興奮しながら美術館をあとにしたのでした。